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「あれは、ノイズ……?!」
 司令室の入り口に立ち尽くした立花響(たちばなひびき)の口から思わず出たつぶやきが、そばにいた風鳴翼(かざなりつばさ)、雪音クリス(ゆきねくりす)、そして小日向未来(こひなたみく)を、一瞬にして緊張に押し包んだ。
 室内奥の壁面に大きく描き出されたレーダスクリーンの中央で、不定形な赤い光のもやが明滅していた。
 翼が一歩前へ出る。
「しかし、あんな形の反応は見たことがないぞ」
 一行は開いている自動扉をくぐり抜け、司令室の中へと入っていった。

 先のネフィリムとの戦いで大破を来した移動司令室に代わって、リディアン音楽院の地下に造営された施設はまだ仮のものであり、スクリーンやコンソール、計測機器計算機器の類は、機能を果たすためだけに雑然と並べられている。それでも、響達『装者』の力で『バビロニアの宝物庫』を破壊し仰せた後は、認定特異災害、『ノイズ』の脅威は一件も報告されていなかったため、この急ごしらえの司令室でも十分に用はなしていた。
 ところが今は、狭い通路を用員達がひっきりなしに行き交い、事実確認や関係当局と連絡を取る大きな声があちこちから聞こえている。皆一様に切迫した表情を浮かべている。
 昨日までののんびりしたムードとは打って変わった様子に戸惑いながら、この場にふさわしくないリディアンの制服を着た響達は、室内で一段高くなったブリッジに近づく。
 ブリッジの前衛には、仁王立ちになり腕を組んで周囲に命令を飛ばす男性がいた。シャツを腕まくりし、ネクタイの先を胸ポケットに差し込んでいる。この基地をとりまとめる特異災害対策機動部二課課長、翼の叔父でもある、風鳴弦十郎(かざなりげんじゅうろう)である。
 近づいた翼は、相手に声をかける。
「何が起きているんですか」
 弦十郎は、翼と響達に目配せした。
「皆来てくれたか、未来君も」
 今は装者ではない未来は、小さく頭を下げる。弦十郎は一同に、スクリーンを見るよう促した。
「見ての通り、ノイズだ」
 赤い光は、スクリーン上を一定の方向にゆっくりと動いている。
「『宝物庫』を潰してからこっち、残党の襲撃は予想済みだったんだが。こいつは、今までのとはタイプが違う」
 低い位置にあるオペレータ席に命令を投げる。
「最新情報をくれ」
 二課の制服を着た藤尭朔也(ふじたかさくや)が、いつになくきびきびとした口調で手元のデータを読み上げる。
「現在ノイズは北西の山間部に位置し、勢力を拡大しながら南東方向に時速約15キロメートルで移動中。発見時からコースは変わっていません」
 隣に座る友里あおい(ともさとあおい)が声を挟む。
「司令、無人探査機からの可視画像が入電しました」
「出せ」
 スクリーンの一角が灰色に染まった後、ところどころ乱れながらも映像が浮かび上がってきた。
 上空から斜め下を撮影する無人機の映像は、地表にうごめく何者かを映し出していた。日没間近の陽光を全面に受けて赤黒く光るそれは、形をなさない溶岩のように、ぶるぶると震えながら、辺りの木々を押し倒して移動していた。
 呆気にとられていたあおいは、気を取り直して報告を続けた。
「センサ情報からの推定によると、平均高さ三十メートル、地表の占有面積は……八平方キロメートル」
「街一つ、軽く飲み込んでしまいますね」
 いつの間にか響達のそばに来ていた緒川慎次(おがわしんじ)が言葉を継いだ。
「長年にわたるノイズの観測と研究の中でも、類を見ない巨大さです」
 制服ではなく背広姿なのは、翼のマネージャという仮の姿で仕事をしていた最中だったからなのだろう。眼鏡は外している。
 弦十郎が、場にいる全員に注意を促す。
「これより我々は、このノイズを『リヴァイアサン』と呼称し、無力化を図るため以後迅速に対応する」
 響達の方へと改めて向き直る。
「君達の出番になる。しばらくぶりだが、行けるか?」
「無論です。それこそが、我々装者の使命ですから」
 翼が、引き締まった表情で即答する。クリスも、にやりと笑い拳を握りながら同調する。
「こんな時のために、今日だって放課後残って特訓してたんだ。体はあったまってるぜ」
 響は一歩前へ出た。
「相手が何者でも、戦ってみせます」
 弦十郎は三人の顔つきを確かめ、うなずいた。
「頼むぞ」
「装者は準備が整い次第、射出口へ移動してください」
 あおいの案内を受けて、響、翼、クリスの三人は、入ってきたのとは別の扉を目指し走り出す。
「――響」
 至極穏やかだが、よく通る声が聞こえた。響の目の前へ、未来がするりと滑り込んでくる。
「未来?」
 向き合う格好になった二人に、翼とクリスは一瞬目をくれたが、すぐに戦闘準備のため部屋を出た。
「どうしたの、未来」
 問いかける響の前で、未来は柔らかな微笑みを口元に浮かべ、押し黙っている。しかし、響が翼達の後を追おうと身を乗り出しても、未来は自分の体で立ちふさがり、身動きを取らせなかった。
「響」
 彼女はそっと、両手を肩幅の広さに掲げた。手のひらを相手の方へ差し向ける。
 未来は、響を、突き飛ばした。
「?!」
 響が思わずよろめいた瞬間、未来は右手で胸元のペンダントを――装者が使用するギア、聖遺物ガングニールを――引きちぎった。

 響と、周囲の人々が唖然とする中、未来はガングニールを握りしめて走り出す。陸上部のアスリートの俊足でもって、瞬く間に入り口を抜け姿を消した。
「未来……っ」
 状況が理解できない響には、見えなくなった相手の名前をつぶやくしかできなかった。
 我に返った弦十郎は、今取り得る策を思案した。
「ガングニールの軌跡を何とかトレースできないか」
 オペレータ席に着いて機器をいじり始めた慎次すげなく首を振る。
「無理です。なにしろレーダ観測網の内側ですから。ギアが発動でもしない限りは……」
 弦十郎は苦い顔になった。
「何てこった……」
「くっ!」
 響は、意を決して駆け出した。未来の後を追う。

 基地は、地上部分に二棟の建物を擁している。どちらも学院付属の管理棟に偽装していて、片方は装者や航空機械、武器の発着場、もう一方は物資や資材の搬出入口として使われている。響は未来の姿を求めて、後者の建物へとやって来た。
「未来……。未来!」
 北側部分は立体駐車場になっている。響は求める相手の名前を叫びながら、傾斜路を駆け上っていく。
「響」
 何度目かのらせんを回り込んだ所で、声が聞こえた。先程と変わらぬ、穏やかだがどこか突き放すような声だ。
 顔を上げた響の目に映ったのは、傾斜路の終端で、夕焼けの空を背にする未来のシルエットだった。高い場所を渡ってきた風が、襟足で整えられた彼女の髪を揺らせる。
「未来――!」
 走り寄ろうとする響を制するように、未来は右手を横に振り伸ばした。細いチェーンにつながれたガングニールが、握った拳の下で揺れる。
 傾斜路の一番端に立っているおかげで、彼女が手を離したら、ガングニールは地上へ落下するだろう。それで壊れるような代物ではないが、探し出すのは非常に困難になる。
「未来、どうしちゃったの? こんなの、未来らしくないよ」
 食い下がる響に、未来は上方から声を降らせた。
「響。響は知らないかもしれないけど、私って傲慢な人間なの」
 半歩下がった未来の頬に、暮れようとする陽の、血のような鮮紅色が差す。
「自分のためなら何だってする。だから――」
 未来は手の力を緩めた。
「!」
 同時に、その手を胸へとあてがう。

《……Балвисиал нескэл гангнир трон――》

 司令室のコンソールが、けたたましい警報音を鳴らした。
「――アウフヴァッヘン波形検出。パターン照合……ガングニール!」
 あおいの報告とともに、スクリーンが閃く。表示された文字を確認して、弦十郎は安堵した。
「響君か……」
「待ってください。何か変です」
 あおいは、手元に表示される数値をスクリーンへと投影させた。
「適合係数が異常に低下しています。まるで、今にもギアが分離してしまいそうな……」

「立花!」
「こいつは……!」
 未来の様子を不審に思い引き返してきた翼とクリスは、信じられない光景を目の当たりにした。
 ひざまずいた響が力なく手を差し伸べる先、傾斜路の上で、輝く光に未来が包み込まれていた。
 しなやかで伸縮性の高いボディスーツが、未来の肌に張り付いていく。腕を片方ずつ順に掲げると、待っていたかのように薄手の白いグローブが出現し、同時に腕部ユニットが手首を挟み込む形で取り付けられる。
 そこで未来は、少し腰をかがめ、路面を蹴って後ろへと飛びすさった。10メートル以上はある地面へとすぐに落下していく
「おい!」
 クリスは飛び出した。未来が立っていた場所へ来ると、柵をつかんで地上をのぞき込む。
 未来のギア発動シーケンスは続いていた。ブーツ、スカート、ヘッドギア……あるべきパーツがあるべき場所へと取り付けられていく。が、何かが違っていた。
 違和感は、クリスの目から見ても明らかだった。未来の周りには火花のような電撃が渦巻き、ギアを通して未来の体に撃ち込まれていく。
「うっ!」
 うめき声とともに未来はバランスを崩し、体勢を立て直せない状態で、地面にたたきつけられた。
 我が痛みのように、クリスは顔をしかめる。
「何してやがるんだ、あいつ」
 ギアをまとっているとはいえ激しい衝撃のはずなのに、未来はすぐに立ち上がろうと地面に手を突き膝を立てた。
 クリスはぐいと顔を上げて翼を振り返る。
「追いかけるぞ」
 翼はうなずいてから、両手で支えていた響に問いかける。
「小日向がまとっていたのはガングニールだな? いったい何があったんだ」
 未来が消えていった空を眺めたまま、響はうわごとのように言う。
「未来が、悲しそうに笑って、未来が言ったんだ」
 のどを詰まらせながら、響は声を絞り出した。
「『バイバイ』って――」

-- 続 --


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2017.7.1 Written by ギンガム from 百合佳話 [ゆり/かわ]