インデックス まえがき あらすじ


 南の空にかかる太陽から降り注ぐ光は柔らかかったが、気温はとても低かった。いちご舎の窓から望む外の景色は、枝ばかりの木々や茶色い地面などで構成され、寒々とした印象を拭えない。
 部屋の換気をするために窓を開けていた玉青は、カーテンに身を預けていつの間にか遠くの景色に見入っていたのに気づく。手早く窓を閉めて、自分の勉強机へと戻った。裾の豊かなスカートを押さえて椅子に座る。
「……」
 机の上の時計に視線を投げるが、時針や分針の並びは先程と比べてあまり変わっていない。彼女は、既に終えている冬休みの宿題のノートを、再びチェックし始めた。
「渚砂ちゃん、遅いですわ」
 そう、言うだけは言ってみた。
 海外赴任中の親が一時的に帰国したため、年末年始を家族とともに過ごそうと、渚砂は許可を取って外泊しているのだった。今日は、彼女がその正月休みから帰ってくる日だった。
 玉青は、彼女が何時の列車で戻るかまで事前に聞いていた。その時刻から、アストラエアの丘まで歩く余裕を多めに見込んだとしても、着く時間はとっくに過ぎている。なのに、自分達の寮であるいちご舎の門の前にさえ、彼女の姿はまだ見えなかった。
 渚砂が列車に乗り遅れた、とか、ダイヤが乱れている、とか、あるいは彼女が何か緊急事態に巻き込まれた、など、可能性はいろいろあるだろう。しかし玉青には、遅れの理由がどこにあるのか、何となく予想がついていた。
 静馬の所に行っているに違いない。
 エトワール位を天音と光莉に引き継いだ静馬は、もう植物園や生徒会室に自由に出入りすることはないだろう。寮の部屋にもいないとなれば、カフェテリアか、音楽室、それとも図書館だろうか。ともかく彼女達は二人だけで、数日ぶりに会えた喜びを分かち合っているのだろう。
「けれど」
 玉青には、彼女達の関係に問いを投げかけたくなる思いがあった。
――静馬様、あなたはこの先、どれだけ渚砂ちゃんに寄り添ってあげられるのですか?
 ノートのページを繰る手が、ふと止まった。
――あなたは、万聖節も、聖誕祭も、この聖ミアトル女学園の生徒として祝われました。聖ウァレンティヌスの祝祭や、灰の水曜日だって、大切な人と二人で過ごすことができるでしょう。
 でも、長い四旬節の終わりを、この学園で迎えることはできません。シュロの主日や、受難日の頃には、あなたは既にここから卒業されているのですから。
 渚砂ちゃんが困っていても、あなたは手を差し伸べることができません。寂しいと感じていても、ぬくもりを分け与えることさえできないのです。
「私なら――」
 つい、口に出してしまった。だが、彼女は自分の思いを、隠し立てする気も、否定する気もなかった。
――私なら、復活の日も、その後の季節も、ずっと渚砂ちゃんのそばにいてあげられます。
 どんな時だって、私は一番の味方です。渚砂ちゃんがつらい目に遭わないように、盾にだってなります。渚砂ちゃんの笑顔を絶やさないための方法を考えて、実行することができます。
 玉青は、厳かな物腰で、音もなく椅子から立ち上がった。誰かを指し示すように、右の手のひらを上に向けて、わずかに斜め前に差し出す。
「静馬様には、それができない」
 ドアをノックする音がして、すぐに扉が開いた。宿泊用の手荷物や、おみやげの紙袋をたくさん抱えた渚砂が入ってきた。
「ただいま、玉青ちゃん!」
「渚砂ちゃん。おかえりなさい」
 椅子に座って辞書を見ていた玉青は、ゆっくりと立ち上がって振り返る。太陽のようにまぶしく明るい渚砂の笑顔が、彼女の目に入ってきた。
「あ、そうだそうだ」
 渚砂は急いで荷物をすべてその場に置くと、いそいそと玉青の前に歩み寄る。
「玉青ちゃん、明けましておめでとうございます」
 彼女は神妙そうな口ぶりで言いながら、深々とお辞儀をした。そろえた指先が、私服の短めのスカートとロングブーツの間に見える素肌に重なる。トレードマークのポニーテールが、さらりと肩を流れた。
「はい、明けましておめでとうございます、渚砂ちゃん」
 玉青も頭を垂れる。相手が顔を上げるのを待って、言葉をつなげた。
「今年も、よろしくお願いしますね」
「うん!」
 笑顔で玉青と視線を交わした後、渚砂は自分の荷物を引き上げにかかった。
「おみやげいっぱい買ってきたよ。千早ちゃんと水島さんでしょ、千代ちゃんに、それから他の皆にも」
 荷物をいじる渚砂の背中を見ながら、玉青は棚の方へ足を伸ばした。ティーセットを引き出して、部屋の中央にある丸テーブルの上に置き、お茶の用意を始める。
「渚砂ちゃん、久しぶりにご両親に会われていかがでしたか。帰ってくる時、寂しくなっちゃったりしませんでした?」
「んもう、玉青ちゃん。私、そんな子供じゃないよお」
 渚砂は、一つの紙袋を取り上げて、くるりと玉青の方を振り向いた。
「あ、そういえば」
「はい?」
 持ってきた紙袋をテーブルの上に置いて、渚砂はふと真面目な顔つきになる。
「お母さんに言われたの。『見ない間にずいぶん大人っぽくなったわね』って。玉青ちゃん、どう思う?」
 彼女は玉青の前で、両手を広げて体全体を見せるような仕草をした。
「大人っぽく、ですか」
 玉青は、渚砂の姿をじっと見て、じりじりと近寄っていった。
「さあ、それは……」
 どんどん近づいていき、今度は目を見つめて顔を寄せていく。息がかかりそうなほどすぐそばで、彼女達は見つめ合った。
「た、玉青ちゃん?」
 実際のところ、玉青が見る限り、休み前と比べて変わってなどいなかった。目の前にいるのは、九か月前にミアトルに編入し、自分や千代、深雪や静馬に出会い、もう一人のエトワール、花織の記憶を乗り越え、恋を知って成長した、紛れもない一人の女の子だった。
 ついでに言えば、この部屋に来るまで静馬と会っていたはずだが、二人が深く触れあったような痕跡は、渚砂の顔や首筋からはうかがい知ることができなかった。
 恥ずかしがって顔を赤くしている渚砂の前から、玉青はぱっと離れた。
「申し訳ありません。私にはよくわかりませんわ」
 テーブルへと戻る前に、水場から魔法瓶を持ち出してくる。
「何しろ、夏休みの一日以外、ずっと渚砂ちゃんのそばにいましたからね。それに、私にとってはいつだって、今の渚砂ちゃんが、本当の渚砂ちゃんですから」
「玉青ちゃん……」
 茶葉の入った箱とティーポットをそろえた玉青は、顔を上げて渚砂の方に向き直った。場を和まそうとしているのか、輝く瞳は茶目っ気を宿している。
「じゃあ、私はどうですか? 出会った頃から何か変わっていますか」
 彼女は片手の手のひらを柔らかく胸にあてがい、つま先を伸ばして、ささやかにバレエのようなポーズを披露する。その仕草はとても優雅だ。
「うーん、変わってない、かなぁ? いやいや、何ていうか、玉青ちゃんって前から優しい人だなって思ってたけど、今はもっと優しくなってる気がするんだよね」
「あら……」
 玉青はポーズをとるのをやめた。ふい、と視線をそらして、ポットに茶葉を入れる。渚砂とは目を合わせずに、独り言のようにささやく。
「そんな事を言われたら、照れちゃいますわ」
「本当の事だよ」
 渚砂は、玉青の反応を見て、自分も喜ばしい気持ちになっていた。
「渚砂ちゃん」
「ん、何?」
 二つのティーカップに順に紅茶が注がれていくのを眺めていた時、不意に玉青が声をかけた。
「去年の春の頃、文芸部に見学に来てもらったことがありましたよね」
「うん、あったね! 玉青ちゃんの詩の朗読、素敵だったなあ。『ああ、虹よ……』っていうの」
 胸元で合掌した渚砂は、斜め上に視線を投げ、暗唱のまねごとをする。
「まぁ、中身まで憶えてくださってたんですね、嬉しいですわ」
 言われた彼女はすぐに顔の前で両手を打ち振る。
「ああん、でも最初だけしかわからないの。ごめんなさいっ」
 玉青はそっと首を振る。
「気になさらないで。実は、今度またあの詩を読んでみたいなって思ってるんです」
「本当?!」
「はい。その時は、また聞いてくれますか」
 渚砂は、顔の両脇で拳を握って、勢いよく何度もうなづいた。
「聞く聞く! 楽しみだなあ」
「私も楽しみです。渚砂ちゃんのために、渚砂ちゃんの事を思って読みますね」
「玉青ちゃんってば、何言ってるの。えへへ」
 顔を赤らめて恥ずかしそうに笑う渚砂の前で、玉青は、ためらうように少し横を向いた。
「特に……その」
「特に?」
 目を丸くしおうむ返しに言う渚砂と、玉青は意を決して向き合う。
「……最後の一行まで、私の気持ちを込めていますから」
 詩の詳しい内容を知らない今の渚砂には、自分の意図は伝わらない。けれど、詩を読んだら知られてしまうかもしれない。気づいてほしいのか悟られたくないのか、自分でもわけがわからなくなるほどだったが、玉青は何とか言葉を口に出した。やや顔をうつむかせ、上目遣いに相手を見る。
 渚砂は、ふと微笑んだ。
「玉青ちゃんが読みたくなった時に読んでくれていいよ。私、待ってるね」
 彼女の頼もしげな表情と、柔らかい言葉遣いに、玉青は救われる思いがした。
 結局、渚砂に手を差し伸べるためにそばにいる、というのは言い訳に過ぎないのだ。この可憐な女性に憧れ、いつも近くで存在を感じていたい、それが自分の思いだと、玉青は改めて認めざるを得なかった。
 けれど、一方的に自分の渇望を果たすだけのつもりもない。渚砂の笑顔を絶やさないために力を尽くしたい気持ちに偽りはない。
――これからも、あなたと生きる。
「お茶をいただきましょうか、熱い内に」
「うん! じゃあお茶と一緒に」
 渚砂が、手にした紙袋から中身を取り出す。細かく間仕切りのされた箱に収められているのは、海外製の高級そうな、そして甘そうなチョコレートだ。
「おいしそうですわね」
「お母さんが買ってくれてたの。皆に、って」
 彼女は箱に顔を寄せて中を見回す。
「ええっと、これと、これ、後はこれも。帰ってくる途中で食べたんだけど、おいしかったよ」
「まあ、渚砂ちゃんったら、つまみ食いですか?」
「ち、違うよぉ! ちゃんと私用にもらったやつだもん」
 慌てる渚砂を見て、玉青は思わず吹き出す。
 こうして、同級生の千早や紀子にも知らせず、お部屋番である下級生の千代も呼び出さず、穏やかなお茶会は二人だけで続けられた。

-- 了 --


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2016.3.7 Written by ギンガム from 百合佳話 [ゆり/かわ]